CDを買うのは本を買うのと同じ

音が視覚化、文章化される

かなり久しぶりにCDの媒体で音楽を買った。二枚買って、きっかけはラジオで流れたから。ラジオは職場で流れてる。音源だけ買うのは確かに安い。ただ本当に「聴く」事しかできないからすぐに飽きてしまう。カバーデザイン、スリーブ、ライナーノーツ、歌詞など全てひっくるめて聴けるとまるで一冊の本を読んでる感覚と同じだと気づいた。機械的に作ったプロダクトはわんさかあるが、今でもCDの媒体で丁寧にバンドのその時の世界観を提示してくれるアーティストはいる。彼らの音に表されていない言いたいことはライブ手前の時点でちゃんと示されているんだ。音楽は一方的に流れてしまうが、手元にアルバムのブックレットがあれば歌詞やそこに印刷された文字、写真が目に入ってきて、能動的に聴く、世界観を理解する手立てになってくれる。各曲ごとにアーティスト本人が解説をつけてくれたりすると俄然うれしくなる。

聴くか聞き流すかは能動的。

本は電子化、オーディオブックになったりして紙の媒体から自由になった。文字を拾う、ページをめくるって能動行為から本を持つ手は省かれ、目がショボショボしていても耳から伝えてくれる。

カバー、書体、そして中身がすでに完成形として読者に提示してくる。私たちは能動的に読むが内容そのものを読み進める、眺めることはその作品に対して受動的だ。

音楽は勝手に耳へ入ってくる。それでもその曲に興味を持たなければ調べることさえしない。youtubeや音楽配信サイトで無料で聴く、よほどの理由がない限りお金を出して音源を買うのは珍しくなった。聴く、聞き流す自体は受動的なのに聴くか聴かないかはユーザーに委ねられている。マスメディアで配信サイトでプッシュされている曲、アーティストがいてもそれを受け入れるか否かはこちらが決められる。

聴く人ごとに読み解かれる

アルバムで買った場合、全体の流れが見える。表題曲やシングル曲が気に入ってそれだけ買った場合は本で言う気になったとこだけ立ち読みした感じだ。アルバムだとご丁寧にイントロだけの曲、曲と曲の間にスキット(繋ぎの音楽と言えばいいのか)が入ったり、佳作レベルのが収録されていたりする。実力と人気のあるアーティストなら捨て曲が入ってることは少ないと思うが耳休めの曲があるのは事実。ただ、ちゃんと一つの作品として作られたアルバムは全体を通して伝えたいことが存在するので無理せずに聴いてみて欲しい。本と違って伝えたいことは明文化されてないから聞く側の自由で構わないし、むしろそこが私にとっては本以上の自由度を持ってると思う。文字はわからなければ読めない、誤解を産む元だが音楽は感情やテクニックを誤魔化せない。そこに明文化された歌詞や制作のバックグラウンドが入ってくると、ただの音楽から立派な音楽作品となって私たちの身体に訴えかけてくるようになる。

気晴らしから世界を広げる聴き方

CDで買うアルバムは音楽メインのオーディオブックといったところだ。嗜好品の楽曲の扱いから生活を豊かにしてくれるCD、楽曲とするにはどのアーティストを買うかに左右される。

私がすすめるのはふと入ってきた気になる曲、アルバム、アーティストを調べることだ。ルックスから入ると目で聴いてしまって肝心の曲が入ってこないことがある。その曲が生まれた場所、背景。アーティストのバックグラウンドを探る内にあなたの見聞きする世界は無意識の内に広がっていく。聴いたことのなかった知らない曲が好きな曲になったら、それは新しいことを受け入れる、多様性の肯定に繋がるんだ。

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